06.19.16:30
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04.22.17:26
惑星パンドラはとある巨大惑星の周囲を回る緑多き青い衛星。人類はここで反重力物質を発見し、基地を作り採掘を行っていた。しかし、その星にはナヴィというヒューマノイド種族が住んでおり人類との軋轢は次第に表面化して行く・・・ そんな設定で始まるアバターですが、何ですか!?いきなりラピュタですか!?そして飛行石かよ!?・・・・って。この映画はラピュタよりも遥かに後から製作が始まっているから、キャメロンの着想の中にそれが無かったとは決して言い切れません。 そして、パンンドラの大気ではヒトは呼吸出来ない為、エクゾパックと言うマスクを着用する必要があります。まるで、腐海そっくりの状況です。えええええええ---------つつ!!、そ、それってぇ、ナウシカやんけ----!しかも、自然を守るテーマまで一緒やぁああああああ!! -------と言うわけでね。ナウシカとラピュタを足した様な設定がこの映画には沢山ある訳ですが、キャメロンは日本の映画やアニメ、けっこう見てる人ですから、穿った見方をしなくてもその影響を受けた可能性は大いに考えられますね。ってかパクってますねww明らかに。 世間的には、ってかアメリカでは「ダンス・ウィズ・ウルブス」や「エメラルド・フォレスト」の影響を受けたと言われていたりもしますよね♪ なんかこう書いてしまうと、まるでDisっているみたいですけど、決してそんな事はありません。だったら何回も見てないでしょう!wむしろ大リスペクトしておりますのん♪個人的には3D映画でこれ以上の映画は今の所登場していないと思います。だから、早よう、3Dのブルーレイを発売せえや!オラぁ!! さてさて、この映画、アカデミー賞こそは取り損ねましたけれど、興行記録は2700億円くらい行ってて、歴代一位でありますし、その金額は日本の一年間の全映画の興行合計と並んでいます。どれだけスゴイ金額かは判りますよね。ただ、日本でもアメリカでも歴代一位にはなっていなのは面白いですけど。そして中国では国産映画が不発に終わる事を懸念し、上映禁止になりましたとさww そんな中、アメリカでは逸早く、タランティーノやスピルバーグがこの映画を絶賛しましたが、日本でも押井守が日本映画の敗北宣言を出しました。 ちなみにこのアバター、続編が作られる事がすでに決定しており、実現すればスターウォーズを遥かに凌ぐヒットシリーズになる事は間違いありません。ちなみに公開予定は「2」が2014年12月、「3」は2015年12月だそうです。 と言うわけで、何を語っても語り尽くされているでしょうし、何を語っても語り尽くせないので、ここでレビューを終わりたいと思います。 安定のこぼれ話ばかりで、内容にはあんまり触れず仕舞いっていうね。。。フフ あらすじ: 下半身不随になり、車いす生活を送るジェイク(サム・ワーシントン)は、衛星パンドラにやって来る。彼は人間とナヴィ族のハイブリッドであるアバターに変化を遂げ、不自由な体で単身惑星の奥深くに分け入って行く。慣れない土地で野犬に似たクリーチャーに襲われていた彼は、ナヴィ族の王女(ゾーイ・サルダナ)に助けられる。 ほなな~♪ PR
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04.19.02:12
当時のハリウッド映画は、やはりマリリンモンローを始めとするグラマラスな女優が主流を占め、全く無名でスレンダーなヘプバーンは言わば真逆の存在。実際、この映画においても最初のキャスティングは先日逝去したエリザベス・テイラーだったわけで、例外ではなかった。 そんな中でヘプバーンに白羽の矢が当たったのも、監督の交代やウイリアムワイラーのセンスなど、様々な偶然が重なった賜物であろう。 50年代全米ではレッドパージ(赤狩り)の嵐で、あのチャップリンさえもその迫害から逃れられなかった状態だったんだけれども、そんな理由から製作サイドでは国内の監視を逃れて外国での撮影を好む傾向があって、それは制作費を抑えると言ういい面もあった。そこで、イタリアの観光業界と手を組んでこの映画が製作されたのがこの映画。 当然この映画にはローマの観光名所がかなり登場する。はっきり言ってローマのお神輿番組じゃないかしらんと思う位に観光映画の側面がある。そして、ヘプバーンをフーチャーしたアイドル映画の様でもある。グレゴリーペックとかすっかり霞んじゃってますよね。こん時すでに大スターなのにねw・・・しかも中身は男女の出会いと別れって言う月並みなテーマでしかない。しかしながら、そんな、ともすれば3流にもなりかねないエレメントをどうやって超一流の映画に押し上げたのかと言うと、そこはやはり、監督の演出センスであり、脚本の妙技なのでしょうな。。。 ・・・ってなわけで、この映画が齎した副次的な社会現象も相当なもので、ヘプバーンは新人ながらいきなりのアカデミー主演女優賞を取ってその後の活躍はご存知の通り。ローマ観光は当然ながら相当程度に増え、劇中、ヘプバーン演じるアン王女が身に付けるジバンシィは世界的ブランドになった。ベスパが日本で流行ったきっかけも実はこの映画だったりもします。 撮影時のローマは実はテロの嵐が吹き荒れていて、殺伐とした雰囲気だったらしいけれども、とにかく劇中のローマは麗しき観光名所であいかありませんね。 こう考えて見ると、全てはマイナス要素しか無い中でよくぞまぁこれだけの名作を作ったものだなぁと感心します。しかもかなりの低予算で!(しかも数日間の出来事って言う設定ですよね) この映画を作ったウイリアムワイラーは、言わずもがなのマルチな才能の持ち主でこの後「ベン・ハー」って言う大スペクタクル映画も大ヒットさせてますね。しかもこっちはかなりの大型制作費を注ぎ込んでますのん♪ ローマの休日って、もしかしたら観光映画でアイドル映画かも知れないけど、一流の恋愛映画で、世界的名作であることは歴史が証明しちゃってますよね。 とにかく、ラストで凛とした態度でフレームアウトして行くアン王女の姿は目にこびり付いて離れません。 お暇な方はもう一度この映画を見て見たら? あらすじ: ヨーロッパ最古の王室の王位継承者であるアン王女は、欧州各国を親善旅行で訪れていた。ローマでも公務を無難にこなしていくアン。だが実は、彼女はこれまでのハードスケジュールで疲れやストレスが溜まっていた。主治医に鎮静剤を投与されるものの、気の高ぶりからか逆に目が冴えてしまった彼女は、こっそり夜のローマの街へ繰り出すことに。やがて、薬が効いてくるとベンチで寝入ってしまうアン。そこへ偶然通りかかったアメリカ人の新聞記者ジョーは、彼女を一国の王女であることも知らずに自分のアパートで休ませるのだが…。 ほなな~♪ |
04.16.14:26
監督はクリストファーノーランはもう、ハリウッドではそこそこの地位を確立しているんじゃないかしらん。まだまだ30代後半の若手なんですけどねぇ。個人的にはかなりの才人であると注目してますのん♪ ノーランは最初、メメントと言うかなりローバジェット(低予算)の映画で注目を集め、その才能を世に知らしめました。しかもこの映画の元ネタは実弟の物であり、なんだかウォシャオスキー兄弟を彷彿とさせます。 その後、バットマンビギンズから新シリーズでのバットマンの製作バトンを受け、ダークナイトではその大胆な演出と巧みな心理描写で興行的にも大ヒットを飛ばしました。基本的にこの監督はは常にシリアスでBGMやアクションなど極力控えめなのが特徴であり、心理学に通じた人間心理を探求した作風ですね。脚本の台詞一つ一つ練りに練りこむ徹底性が強く、アクション映画に対しても勧善懲悪な内容と一線を画し悪役や他の脇役にも共感できるように描いているところが非常に面白いです。 そして、このインセプションはノーラン監督の完全オリジナル原作・脚本。当然に期待していい作品です。そしてテーマはズバリ人間心理。そしてその舞台はヒトの夢の中。しかも、本人曰く、10年以上前から自分の中で暖めていた作品だそうです。しかもこの作品、その冒頭から日本が舞台になっていて、渡辺謙も最初から最後まで重要な役回りで出演しまくりです。 結構、日本が出て来るって、ノーランのセンスと無関係ではないんですよね。およそノーランの作品っておよそハリウッドらしくない。さっきも言った様に全く勧善懲悪じゃないし、心理描写がかなり多い。どちらかと言うと日本のSFアニメに非常に近い。。。アキラとかEVA、甲殻機動隊なんかの系統と言っていいかもしれんね。 ・・・・・というわけですから、面白くない筈がない。 でもって、何処がどうイイ!とか、内容でここがイイ!などという話はいくらでも出来るんですが、ネタバレにもなるんで、あまり深く追求するのはよしましょう。。。 ただ、はっきり言えるのは、ハッピーエンドではありません。 あらすじ: この作品における夢の世界を、対象個人の脳に侵入するようなイメージで捉えてはいけない。レオさまはじめ精鋭チームが侵入するターゲットの「夢」は、しかしそのターゲットの脳内だけにある要素で作られているわけではない。エレン・ペイジ演じる「デザイナー」は侵入先の夢の世界を(外部から)細かくデザインできるし、ほかにも姿かたちを自由に変えられる能力を持つ男などが存在する。対象の脳内にいるはずのない(ターゲットが一度も会ったことの無い)登場人物が出てきて、主人公を悩ませる場面も頻繁に出てくる。 ようするに、ここでいう夢はパソコンでいう共有フォルダのようなもの。本人も、侵入者たちも、互いに影響を与え合うことができるルールになっている。ユング心理学でいう、集合的無意識の共通、の概念をモチーフにしているのかなと思うが、専門外なので詳しい方の解説を待ちたい。そうした教養のある方にとっては、きっと見ごたえがある作品であろうと予想する。 くせのある編集は最後まで続くが、とくにクライマックスではサイトーと主人公が絡む「あるべきはずのシークエンス」が100%カットされており、それがラストショットの絶妙な切り方へとつながる。ノーラン監督は、あえて解釈が真っ二つに分かれるように本作を作った。正解は出しませんから、さあ存分に議論してくださいというわけだ。 |